2013年6月23日日曜日

震災復興支援報告会を開催しました!


文責:松永杏
<震災復興支援報告会にて、活動報告をしました>
6月10日(月)「震災復興支援報告会―500kmは越えられる―いま、ここにいてできること」が慶大三田キャンパス南校舎411教室にて開催されました。主催は慶應義塾大学商学部牛島研究会。私は学習室のメンバーとして、この報告会の運営に携わってきました。参加者は80名を超え、社会人の方もお招きすることができました。ご参加いただいた皆様、お忙しい中お越しいただき誠にありがとうございました。

<報告会の趣旨と内容>
今回は震災後2年間支援活動を続けてきた「ちょんまげ隊」と「とどろき・よこはま学習室」の2団体が活動報告を行いました。
タイトル「―500kmは越えられる―いま、ここにいてできること」は今回運営に携わった学生メンバー(学習室と牛島研究会のゼミ員)で決めました。東京から被災地まで約500km。「500㌔は遠いな、でも心の距離は越えられる」という思いが込められています。そして、いまここ(関東)にいて自分ができることは何かを考えよう、という趣旨のもと報告会を開こうと準備を進めてきました。このタイトルをツンさん(ちょんまげ隊長)も気に入ってくださり、ツンさんの思いと学習室の思いがリンクしたタイトルになったのではないかと思います。

さて、今回の報告会は以下の流れで行いました。

1820~「ちょんまげ隊」のツノダヒロカズ氏による報告(映像を交えた体験談)
2000~「とどろき学習室」「よこはま学習室」の報告(概要説明とメンバーによるパネルディスカッション)
2030~参加者のグループディスカッション

ツンさんの報告
学習室の報告
具体的な内容としては、ツンさんの報告を聞いてもらうことで参加者へ3.11の記憶・関心を呼び起こし「自分も何かしたい!」と感じてもらい、学習室の報告で「自分ができること」の具体的な一例を提示し、その後参加者にグループに分かれて「いま、自分ができること」を話し合ってもらうというメニューでした。

参加者にとって、「震災支援の活動報告を聞く」ということは、それだけでも十分意味のあることだとは思います。しかし今回の報告会では、せっかくわざわざ三田まで足を運んでいただいたなら、聞いたうえで「次への一歩」何がでるかまで考えてほしい。私たちは、この報告会をそういった<きっかけ><踏み台>にしてほしいと考えていました。

<楽しくやること>
今回、グループディスカッションでは多くの班から「次への一歩」として「チャリティフットサルを催す!」や「東北で趣味を通じたイベントに参加する!」といった声が多くありました。アンケートでは「ツンさんの『楽しむことが継続の力』という言葉が心に残りました」というコメントもいただきました。

日本人のなかには、東北のことは気になるし、何かできることがあるならやりたいと思っている人はとても多いと思います。しかし実際にはそれぞれ経済的な事情や時間的な都合があり、なかなか具体的な行動まで至らないという現状があります。復興ボランティアをしている人はその「壁」をまずはしっかり受けとめる必要があります。その上で「じゃあどうやったら巻き込めるのか」ということを考えなくてはいけません。

その答えの一つはやはりその活動が楽しいか、ということだと思います。

私は周りから「学習支援とかやってるんだ。偉いね、真面目だね」と言われるのが腑に落ちないときが多々あります。そう言われたら負けなんです。「面白そう!楽しそうだね」って言われたい。

ツンさんのキーワード「楽しくなきゃ意味がない」。これはボランティアをやる側は今後強く意識していきたい言葉だと思います。「そんなイベントやるんだ!なんか楽しそう!参加してもいい?」と思ってもらえるかどうか。「3.11」という重いテーマだからこそ、笑顔を生む活動であるかが大事なのだと思います。当たり前のことですが一番肝心なことだと、参加者の言葉から気づくことができました。

<報告会の反省・今後に向けて>
アンケートでは、グループディスカッションの時間が短かすぎたという声が多くみられました。申し訳ありませんでした。もう少し時間配分を考えるべきでした。ただ、楽観的な感想ですが、それだけ多くの方々が能動的に参加する姿勢を持たれていたということが嬉しいことでもありました。アンケートには「自分は東北出身だがこれだけ多くの人が東北のことを考えていることが嬉しかった」という声もありました。東北について話す「語り場」「情報交換の場」は意外と少ないと思うので、今後も重視していきたいと思います。

また、今回この会を実施するにあたり、主催者側が苦戦したことはやはり「参加者集め」でした。大学12年生を呼ぶべく日吉キャンパスの複数の授業で参加を呼び掛けたものの、12年生はほとんど参加していませんでした。日吉三田間の「20km」は越えられない、という結果になってしまいました(^_^;) 次は日吉で実施したいですね。(牛島先生がご検討なされています。)

ツンさんはこれまで60回以上の講演会を開かれています。一方学習室はというと、大学生メンバーがプレゼンをする、ということは初めてのことでした。今後はツンさんを見習い、普段の活動に加えて、広報活動にも力を入れていかなくてはいけないと思います。

長くなりましたが、最後に、主催してくださった牛島先生、ツノダさん、田代さん、コーディネーターの斎藤さん、ミーティングでも色々と支えてくださった健大さん、運営メンバーのみなさん、ありがとうございました。
そして、参加してくださった皆様、誠にありがとうございました。またお会いして一緒に活動していきましょう!!




2013年6月12日水曜日

メンバーが語る学習室 ~轟晃聡さん~

―自己紹介をお願いします。
「ロッキー」こと轟 晃聡(とどろき あきとし)です。
よく間違われますが、「とどろき」学習室を作った人ではありません。
慶應義塾大学商学部を今年3月に卒業し、4月から社会人としてバリバリ働いています。
大学生活ではトロンボーンを吹いていました。あと47都道府県踏破するほど旅行好き。教えることと子供たちとのふれあいが大好きです。
               
―学習室を知ったきっかけと、参加した理由は何ですか?
震災が起きたのが大学2年生の春休みでした。3年生からお世話になる研究会の教授である牛島先生から「とどろき学習室」の立ち上げのメンバー募集の連絡が回りました。

まさかの「とどろき」つながりで運命を感じ(?)、初回から参加しています。
というのは、つかみであって

真面目に申し上げますと、当時震災でバタバタしていた周りの生活。
震災直後は、「あの友達が被災地にボランティアにいった」「これから行くらしいぞ。」「お前はいついくの?」といった会話が多くありました。ある意味、被災地に行くことが「ステータス」としている光景がありました。
私も被災地の人のために何かがしたいという思いの一方で、でもお金もかかるし、学校も行かなければならない。私がもやもやしているときにキャンパスの近くで始まった「とどろき学習室」。これは行くしかないと思いました。
ついでに塾講師や家庭教師のバイトもしていて、昔から教えることが好きだったということも行くきっかけの大きなひとつです。

―普段の学習室の様子はどうですか?
【避難所時代の様子】
とどろき学習室は、避難所として開設されていた「とどろきアリーナ」の体育館の横の会議室で週1回はじまりました。なかなか話す場面がないので、当時避難所で行われたことを書きたいと思います。
震災がおきて1か月あまり。初回の4月30日は今でも忘れられません。
特別に居住スペース(といっても膝下くらいしかない仕切りで区切られているだけ)に学習室の広報を許可していただいて入ったとき、テレビの向こう側、遠い東北でイメージしていた光景がアリーナの体育館には広がっていました。
被災地に赴かなくても自分には東北のためにできることがある。それがとどろき学習室でした。当時のこどもたちは遊ぶ場所を求めて学習室に来る子供たちも多く、いまとはうってかわって遊び場でした。ボールを使ったり、だっこしたり、おんぶしたり・・・。避難所閉鎖がきまった8月末。最後の避難所学習室で、出口まで送ってくれてなかなか帰ろうとしないこどもたちもとても印象深いシーンです。

【現在の学習室】
 武蔵小杉に場所を変えてからは、「勉強」メインでこどもたちとコツコツ勉強しています。真面目に勉強する一方で、普段の学校の生活や流行など聞けるのも楽しいですね。ただただ勉強を教えるだけではなく、年の近いお兄さんと楽しく勉強できるかを考えながら過ごす学習室はとても雰囲気がよくて楽しい空間です。

 ▲大学卒業祝いの手書きのメッセージつきアルバムをもらいました!!

―学習室の好きなところはどんなところですか?
【「第二の家」】
これは当初からテーマとして掲げている言葉です。社会人になり、行くことができていませんが、たまに帰りたくなる家になっている学習室が大好きです。
勉強を教えることが第一義であることは変わりませんが、他愛もない話をこどもたちとするひと時も大事な時間です。家族ではないのに、違う年代の人同士が何も壁がなく話せる空間はこの学習室ならではのステキな空間です。

【みんなで作り上げる学習室】
主宰の鈴木さんの学習室にかける思いは設立当初から頭があがりません。そして、そのまわりのメンバーの学習室への熱意も負けてられないなと感じる場面が多々あります。
毎月行われる全体ミーティング。毎回熱のこもった議論が飛び出します。上級生も下級生も関係ありません。このアツいメンバーがいることが学習室の財産なのではないでしょうか。
もちろん、学習室に来ているこどもたちも忘れてはなりません。クリスマス会、卒業おめでとう会などこどもたちも一緒になってイベントを作る工夫をしています。司会をしたり、ゲームを進めるこどもたちを見ると、大学生と子供たちが一緒になってはじめて学習室ができることを実感します。












▲学習室の大学生メンバーとの出会いも大きな財産です。

【学習室でしか経験できないこと】
好きなこととは離れてしまうかもしれませんが、学習室の活動では普段できないことを経験できた場所でもありました。2つあげたいと思います。

●被災地の学習支援に携われたこと。
この記事でもありましたが、昨年の夏休みに東松島市の学習支援プロジェクトに参加しました。仮設住宅に住む方々、多くのこどもたち、現地の校長先生とお話しできたことが印象的です。

●神奈川県知事の前でスピーチができたこと。
神奈川県の取り組みで、NPO法人が中心となった活動を紹介するイベントに代表でスピーチをすることができました。

















▲東松島市の市報に載りました! 














▲神奈川県知事の前でスピーチ。緊張した


ほかにも他の震災復興の団体や、高校出張授業など、様々な経験をさせていただいております。

―学習室を通して学んだことは?
(震災について、震災以外について両方教えてください)
【「成長」】
 とどろきアリーナで初回から参加している子は当時中3の受験生。その彼女ははやくも高校2年生になりました。避難所での姿とはまた違った姿を見ることができています。会話の内容も高校生らしくなり、このプロセスは息の長い学習室の活動ならではです。他のこどもたちも毎回見るたびにちょっとしたことに気づくことがとてもうれしいです。

【言葉の重み】
 震災の爪痕はまだまだいたるところに残っています。このような文章を書いたり、普段の活動をしたりするにあたり、一番は被災地、被災者の皆様の気持ちを優先した行動・言動が求められています。自分自身も様々な経験をし、学んできました。一つ一つの言葉に気を使うようになったことは(もちろんいい意味で)大変大きな学びになったと思います。

―これから学習室をどのようにしていきたいですか?
【ひきつづき「第二の家」を】
学習室はこの二年間でも様々なことに取り組んできました。学習の場である主軸を中心に、派生した活動をどんどん取り組んでいきたいです。もちろん、このような支援の場がなくなることが本当のゴールかもしれませんが、被災地復興のゴールはまだまだ息を長くしていく必要があります。子供たちのためにも、そして私たちが震災のことを忘れないためにも引き続き活動していきたいです。

【震災の「発信地」になる】
 首都圏で活動している震災関連の団体のひとつとして、ブログ・facebook等を通じて私たちの活動を発信していかなければならないと思っています。自分が学習室の広報担当であるということもあるのですが
 あわせて、こどもたちにも震災について考え発信できる場面も作れたらと考えています。もちろんセンシティブな話題でありますし、タイミングを慎重に見ていかなければなりません。いつか当時の話を聞いて、新たな復興のスタイルを子供たちと考えられる日が来ることを願っています。


 以上つらつらと書いていましたが、ブログを担当する機会をいただき、改めて学習室について考えることができました。引き続き、社会人として学習室を盛り上げていきたいと思います。ありがとうございました。